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2007年4月26日 (木)

お薦め野球漫画

Photo_4  以前、私が愛読している『週刊少年マガジン』に現在連載中の漫画で、毎週もの凄く楽しみにしているのが2作品あると書きましたが、そのうちのもう一つが『ダイヤの(エース)』(寺嶋裕二)です。この世に野球漫画は数あれど、こんなに人に薦めたくなる作品は初めてかもしれません。

主人公・沢村英純(えいじゅん)は、長野県の中学の野球部のエース。チームはとても弱かったけど、みんな野球を楽しんでいた。そのメンバー達とともに同じ高校に進学して野球を続けるつもりだったが、沢村は突然東京の野球エリート校(青道高校)からスカウトされる。「仲間を裏切りたくない。でも自分の力を試してみたい」と葛藤するが、迷った末に沢村は野球留学を決意し上京。まだまだ荒削りだが、天性の柔軟な関節と七色に変化するナチュラルなムービングボールを武器に、強豪チームのエースを目指して大奮闘していくといったストーリーです。

コミックの帯に、「野球にかける熱き想い。勝負を挑む緊張感。白球を追う時の真っ白な気持ち。高校野球のすべてがここに――――。感動と興奮の本格野球ドラマ!!」と紹介されていますが、この作品を本当にうまく言い表していると思います。

今までにパンチ佐藤氏が「俺はこんな野球バカが大好きだ!!」、藤井秀悟投手(スワローズ)が「エースを目指すがむしゃらな姿が好きです!!」、和田毅投手(ホークス)が「エースを目指すキミにぴったりの教科書です!!」「リアルな描写に思わず自分の高校時代が重なります。」と絶賛しています。

これまでのストーリーの中で私が一番印象に残っているのは、沢村をスカウトした青道高校野球部副部長の高島礼が語った次のセリフとシーンです。

「こんなことを言うと笑われるかもしれませんが、彼に注目したのはあのボール(ムービングボール)があったからだけじゃないんです・・・・ 私がたまたま訪れた地方の中学大会・・・・ 彼のいた中学ははっきり言って素人の集まりのようなチームでした・・・・ キャッチャーの補逸・・・・ 大事な場面でのエラー 普通の投手ならとっくに試合を投げ出すようなピンチの連続・・・・ それなのに味方のエラーにくさることなく粘り強いピッチングでチームを引っ張る投手の姿・・・・ 私はその背中に真のエースを見た気がしたんです。

私は青道高校や、以前紹介した『あひるの空』に出てくる横浜大栄高校のような強豪校で、一流の監督、コーチ、レギュラーを争う多くのライバルらのもとで鎬を削るというようなことを体験してこなかったので、こういう世界に憧れがあったりします。私は中学、高校と軟式テニス部で頑張ってましたが、信頼できる恩師との出会いや、熾烈なレギュラー争いとかはなかったもんだから...

熱血スポ根漫画好きな方なら、まだ5巻までしか出てないので、あっという間に読破してしまうことでしょう。

そうそう野球漫画といえば、私は月に1回発売されているMy First WIDEの『MAJOR メジャー』(満田拓也)を読むのも楽しみになっています。

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2007年4月21日 (土)

尊敬する人物・杉原千畝さん

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私が尊敬する人物の一人である杉原千畝(すぎはらちうね)さん。

杉原千畝さんの紹介 ↓
http://www.town.yaotsu.lg.jp/sugiharatiune/index.html

杉原千畝さんの存在と彼の勇気ある行動を知ったのは大学生の時です。確か東京新聞の記事を読んだのがきっかけだったと思います。

次に挙げるのは、私が今までに読んだり見たりした杉原千畝さんに関する漫画やテレビ番組です。

☆ドラマ『命のビザ』(主演・加藤剛) フジテレビ 1992年〔H.4〕 

☆『知ってるつもり?!』 1990年代初頭に採りあげられました

☆シリーズ「戦争と人間①」『気骨の外交官 杉原千畝物語』  宮代忠童 漫画『ミスターマガジン』 講談社 1996年〔H.8〕

☆学習まんが人物館『杉原千畝 六千人の命を救った外交官』  小学館 2001年〔H.13〕

☆『終戦60年ドラマスペシャル 日本のシンドラー杉原千畝物語  六千人の命のビザ』(主演・反町隆史) 2005年〔H.17〕 読売テレビ

中でも1番のお気に入りは、漫画『気骨の外交官 杉原千畝物語』です。ユダヤ難民のために外務省の命令に背いてビザの発給を決意し、食事の時間も惜しんで書き続け、途中からはパスポートもお金もない人にまでも許可証を書き、日本領事館閉鎖後もホテルで書き続け、リトアニアを去る日には駅で電車に乗り込んでからも窓越しに書き続けた杉原千畝さん。
ユダヤ難民に対する杉原千畝さんの必死の思いや、正義を貫き通す態度などが非常によく書き著されています。
その出来事から30年近くたってからの当時のユダヤ人との劇的な再会シーンは、涙なしでは読めません。
名前が外国人には発音しにくいことから「センポスギハラ」と名乗っていたために、後年ユダヤ人達が杉原氏を探し出すのに苦労したというエピソードも、とてもドラマティックです。

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岐阜県の八百津町には「杉原千畝記念館」(写真・左)と「人道の丘公園」(写真・右)があります。私は2002年(H.14)の秋に行ってきました。記念館に展示してあるものを全て隈なく見ました。記念館と名が付く所を、これほどまでに時間をかけてゆっくり見学したことは今までなかったです。
杉原千畝さんが書いたビザや、イスラエル政府から授与された「ヤド・バシェム賞(諸国民の中の正義の人賞)※」のメダルを見ることができてとても感動しました。

※イスラエル国政府がユダヤ建国に尽くした外国人に与える最高勲章

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2007年4月 8日 (日)

永遠のマドンナ石川ひとみさん

Photo_3 私にとって石川ひとみさんはあこがれの女性です。小学生の頃『まちぶせ』がヒットしてた時、「ザ・ベストテン」にひとみさんが登場するのをとても楽しみにしていました。歌の上手さだけでなく、明るい人柄や楽しいおしゃべりにも魅かれていました。その後も司会を務めていた「クイズ・ドレミファドン!」「レッツゴーヤング」などよく見ていました。

ひとみさんは現在も歌手活動を続けております。最近では「一五一会(いちごいちえ)」という、BEGINが考案した4弦ギターの演奏をバックにして歌ったCDを発表しています。今までに唱歌・童謡編、フォークソング編、RADIO DAYSの3枚が出ています。

で、本日ひとみさんの一五一会LIVEがあったので表参道まで行ってきました。会場は100人くらい入れる小さめのホールで、私の席のわずか3メートルくらい前はもうステージでした。予想以上に間近で見ることができて大感激でした。ひとみさん以外のメンバーは、一五一会やその他の楽器担当の山田直毅さん(ひとみさんのご主人)と、ピアノ・アコーディオン担当の女性の二人でした。

ひとみさんの歌唱力や天真爛漫で陽気なところは、今も全然変わっていなくて嬉しかったです。ひとみさんだけでなく、ご主人もけっこうしゃっべって場を盛り上げていました。二人はとてもいい感じで、お互い信頼しあってるんだなあという雰囲気が感じられました。(ひとみさんはご主人を「監督!」と呼んでいました。)

唱歌・童謡からは『朧月夜』『かなりや』『バラが咲いた』、フォークソングからは『真夜中のギター』『悲しくてやりきれない』、RADIO DAYSからは『そよ風の誘惑』『夢見るシャンソン人形』などを披露してくれました。もちろん『まちぶせ』も歌ってくれました。個人的には『くるみ割り人形』と『夢で逢えたら』も聴きたかったんだけど。

ひとみさんからいっぱい元気をもらって帰路に着きました。次回もぜひ行きたいと思います。

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2007年4月 6日 (金)

今年こそは広島カープ

Photo_2 今年こそは今年こそはと願いつつも、毎年期待に答えてくれていない広島東洋カープ。もう15年間も優勝から遠ざかってるし、9年連続Bクラス。そして今年も現在最下位... せっかく黒田博樹選手の残留で盛り上がったのになあ。

今年のカープは、点が取れない!これまでの7試合で15得点。1試合平均で2点取るのがやっと。ピッチャーはけっこう頑張って抑えてるのに。その証拠にチーム防御率は現在セ・リーグ1位だ。打線さえ爆発とまではいかなくても、普通に打ってそこそこ点を取ってれば勝てるのに。

前田智徳選手、緒方孝市選手、佐々岡真司選手らがいるうちになんとかもう1度優勝してほしいものです。なお前田智徳選手は、2000本安打まであと88本です。

昨年の夏休みに初めて広島市民球場まで応援に行きました。それまでは横浜スタジアムや平塚球場でしか観戦したことがありませんでした。新球場になる前に1度は行っておかなくちゃと思ったものだから。

9月10日、広島空港に到着した時、土砂降りでした。私は泣きそうになりました。でも、バスで西へ向かって行くうちに天気は回復してきて、広島市内は既に晴れていました。無事試合が開催されほっとしたのもつかの間、中日ドラゴンズ相手に2回で8失点。試合後半はジェット風船を飛ばすことだけが楽しみとなっていました。結局12-4で惨敗。ドラゴンズは4人もホームランを打ったのに、カープは誰も打ってくれませんでした。「試合が雨で中止にならなかっただけでもよしとしなくちゃ」と自分に言い聞かせながら帰ったのでした。

というわけで広島市民球場でのいい思い出がまったくなかったので、「今年も絶対行ってやる!」と心に誓っている私です。その時は、ぜひ優勝争いしててほしいものです。

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